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雨上がり

久しぶりに冷たい雨が降りました。
夕暮れ間近、雨が上がり始めたので、きれいな空気を吸いに畑に出たのです。

吐く息は白いけれど、雨上がりの畑はどこか温かさが感じられ、すがすがしい気分です。
まだ乾き切らない落ち葉の上を歩いていると、どこか懐かしい香りがしてきます。何だろうとよく考えますと、メグスリノキのお茶の香りです。葉に沁み込んだ雨が溜まってお茶の風味を生んでいるのかもしれません。それにしても、出がらしのお茶だなあ。

水たまりに映った木立を撮りました。
これは「逆さメグスリ」とでもいうのでしょうか。(Yu)


  夕暮の小雨に似たり水すまし   (子規)  


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by フジグリーン・メグスリノキネット
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by megusurinoki-net | 2009-01-31 18:17 | メグスリノキ | Comments(0)  

ビッグサイトデビュー

「こだわり食品フェア2009」(東京ビッグサイト)に、小社のメグスリノキ商品が出展いたします。
素材・製法・安全・健康のこだわる「食」の専門展で、30都道府県から200団体、企業が参加します。

日時 2009年2月11日(水)~2月13日(金) 10:00~17:00(最終日16:00)
会場 東京ビッグサイト東4ホール

小社のブースは031です。ご希望の方は無料入場チケットをお送りしますので、フジグリーンのHPからお申し込み下さい。

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by megusurinoki-net | 2009-01-27 19:18 | イベント | Comments(0)  

影法師

寒気が降りて、北関東は冷えました。
昨日はみぞれ、今朝の畑は一面、見事なまでの霜です。
立派な霜柱のその上に、さらに霜が降るのでしょうか。その紋様があまりにきれいで、思わず後ずさりし、土手の上からシャッターを切りました。

そしたら私の影法師が畑に映ったというわけです。

このあたりでは冬張り(ふゆばり)といいまして、畑を深く起こし、たっぷりと何度も霜にあてることで土を柔らかくします。空気の通りを良くし、土中の微生物の活動も活発になるといいます。
日が差して、霜が解け出しますと、ほんのり湯気が畑を包みます。

手はかじかみそうですが、なんだか畑は暖かそうです。(Yu)

  うつくしき霙(みぞれ)ふるなり電気灯(子規)


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by megusurinoki-net | 2009-01-25 21:55 | メグスリノキ | Comments(0)  

芽(その2)

メグスリノキの冬芽です。
青空にまっすぐ向かう芽を撮りました。白い産毛が寒そうですが、そんな心配まったくご無用とばかりに、独り春を待つ風情です。

冬芽を覆い包んでいるのを芽鱗と言いますが、その先端に、ほのかに白い穂が見えるでしょうか。桜が咲き始める頃になりますと、膨らみ出した芽鱗のその先から、産毛に包まれた新芽が吹き出すのです。

思えば晩夏から秋にかけて生まれた芽が冬を越え、早春に成長する、その半年の営みが芽吹きの瞬間に報われる、ということでしょうか。冬芽の膨らみに、近づく春を感じます。(Yu)

  山里は春まだ寒し旅人の桜かざしていづくよりか来し (子規)

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by megusurinoki-net | 2009-01-18 10:35 | メグスリノキ | Comments(0)  

冬芽(その1)

寒い朝です。霜柱を踏みながら、木立ちの中を歩いています。
見上げれば、昨日とは打って変わって抜けるような青空。その青い空に、メグスリノキの冬芽を映してみました。

冬芽(とうが)という響きが好きです。凍てつく寒さの中にも凛として天に向かう緊張感が伝わってくる気がするのです。

春の芽吹き、秋の紅葉もきれいですが、葉をすっかり落とした木立ちが空に向かう姿もまた、なかなかのものがございます。続きはまた後日に。(Yu)

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by megusurinoki-net | 2009-01-11 23:16 | メグスリノキ | Comments(0)  

初夢

  囀(さえず)りや十日許りは日和にて  (子規)

お天気が続きましたが、いかがなお正月でしたか。今年もどうぞよろしくお願い致します。
今年から、このメグスリノキネットBlogに、新しいパートナーが舞い降りてまいりました。

すでにご覧の方はお気づきでしょうが、「木まぐれ美術館」の黒川甚平さんでございます。
もう二十数年のお付き合いで、そのふくよかで朗々たるお声をお聞かせできないのが残念でなりません。

スタートはゴッホでしたが、これから「絵のなかの木」について連載を致します。画家は木々をどのように観たか、人と木とは、あるいは木と人とは・・・・。どうぞお楽しみに。

遅ればせながら、昨日初夢を見ました。木瓜(ボケ)の花に包まれて、目のやり場に窮し、思わず目が覚めてしまったのです。それにしても、こんなにきれいな花を、どうしてボケなどというのでしょうか。(Yu)


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by megusurinoki-net | 2009-01-06 01:57 | フジグリーン | Comments(0)  

木まぐれ美術館№1       黒川甚平

ゴッホ 「糸杉と星が見える道」

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 ゴッホは「炎の人」ではない。
 残された絵を見てそう思う。私たちが好むところの芸術への激情と破滅的人生の物語は、たぶんゴッホからはじまった。しかし、そもそも、激情で描かれた絵が、人の心に届くことはない。
 西洋画において画家が個性を出してもよいことになったのは、印象派が受け入れられてからである。
 クールベが貧しい農民の埋葬を描いた絵は、ナポレオン3世によって鞭打たれた。ターナーはモップで絵を描いていると嘲笑された。ジャーナリズムはモネの「印象・日の出」を揶揄して、印象派と命名した。
 そういう時代をへて、今では、作品を画家の人生で味付けして賞味するのが当たり前になった。何にでもマヨネーズをかけて食べる種族をマヨラーと呼ぶらしいが、およそ絵画解説者は、すべてマヨラーだといって過言ではない。
 画家ゴッホは、その絵の中にだけ存在する。書簡集や戯曲に登場するゴッホは、また別のゴッホである。
 前置きが長くなった。私はこれから「絵の中の木」のことを書こうとしている。そして、それによってあらためて作品そのものを鑑賞したい。そういう趣旨で、少し演説をぶってみた。

 ど真ん中に糸杉の巨木が黒々とそびえ立っている。威容ともいうべき樹勢だ。しかも上のほうは画面からはみだして、梢は想像の中に描かれる。天空にあるはずの星と月が、まるで脇侍のように糸杉の左右に控えている。
 これは、ご神木である。南仏にはご神木というものはないだろうが、かりに日本人が集団で移住したら、いつの間にか根元のあたりに注連縄が結ばれている。そんな木である。
 もっとも、キリスト教以前のヨーロッパでは、老樹や大木を崇拝していた。宣教師ボニファチウスは、そういう木を「蛮族」の目の前でドンスカ切り倒しながら布教したというが、逆に異教徒を取り込むためにはじめた行事がクリスマスなのだった。太陽の力がもっとも弱くなったときに、常緑樹を飾って無事を祈っていた風習が、クリスマスツリーの起源である。
 聖書のどこを探しても、イエスの誕生日についての記載がないと知って、私は驚いた。神仏習合、なんでも折衷は日本の専売特許のようにいわれるが、そんなことはないのである。

 さて、そのご神木の下を、畑仕事帰りの男たちが肩を並べて歩いている。
 そういや、ポールんとこの娘っ子は、だいぶ色気づいてきたでねえか。
 まったくだ。近頃は豊作つづきだから、まあ、どこでも色気づいとる。
 いやいや、糸杉と星の見える道でそんな話はけしからぬ。ゴッホが許さない。何事もなくきょう一日を送れたことを神に感謝しつつ、作物の出来について語りあっているのだ。だから、男たちの歩く姿はぎこちなく硬い。
 彼らのご先祖さまも、何代にもわたって同じようにこの道を歩いたのだろう。糸杉の下を静かに語り合いながら。
 ただの糸杉も、次々と生まれては死んでゆく動物たちを何百年も見守りつづけると、こうして月と星を従えるご神木になるのである。そういう木の前で、私たちは圧倒的に小さい。
 
 by フジグリーン・メグスリノキネット



 
 
  
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by megusurinoki-net | 2009-01-01 09:47 | コラム | Comments(0)