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初夢

  囀(さえず)りや十日許りは日和にて  (子規)

お天気が続きましたが、いかがなお正月でしたか。今年もどうぞよろしくお願い致します。
今年から、このメグスリノキネットBlogに、新しいパートナーが舞い降りてまいりました。

すでにご覧の方はお気づきでしょうが、「木まぐれ美術館」の黒川甚平さんでございます。
もう二十数年のお付き合いで、そのふくよかで朗々たるお声をお聞かせできないのが残念でなりません。

スタートはゴッホでしたが、これから「絵のなかの木」について連載を致します。画家は木々をどのように観たか、人と木とは、あるいは木と人とは・・・・。どうぞお楽しみに。

遅ればせながら、昨日初夢を見ました。木瓜(ボケ)の花に包まれて、目のやり場に窮し、思わず目が覚めてしまったのです。それにしても、こんなにきれいな花を、どうしてボケなどというのでしょうか。(Yu)


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by フジグリーン・メグスリノキネット

# by megusurinoki-net | 2009-01-06 01:57 | フジグリーン  

木まぐれ美術館№1       黒川甚平

ゴッホ 「糸杉と星が見える道」

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 ゴッホは「炎の人」ではない。
 残された絵を見てそう思う。私たちが好むところの芸術への激情と破滅的人生の物語は、たぶんゴッホからはじまった。しかし、そもそも、激情で描かれた絵が、人の心に届くことはない。
 西洋画において画家が個性を出してもよいことになったのは、印象派が受け入れられてからである。
 クールベが貧しい農民の埋葬を描いた絵は、ナポレオン3世によって鞭打たれた。ターナーはモップで絵を描いていると嘲笑された。ジャーナリズムはモネの「印象・日の出」を揶揄して、印象派と命名した。
 そういう時代をへて、今では、作品を画家の人生で味付けして賞味するのが当たり前になった。何にでもマヨネーズをかけて食べる種族をマヨラーと呼ぶらしいが、およそ絵画解説者は、すべてマヨラーだといって過言ではない。
 画家ゴッホは、その絵の中にだけ存在する。書簡集や戯曲に登場するゴッホは、また別のゴッホである。
 前置きが長くなった。私はこれから「絵の中の木」のことを書こうとしている。そして、それによってあらためて作品そのものを鑑賞したい。そういう趣旨で、少し演説をぶってみた。

 ど真ん中に糸杉の巨木が黒々とそびえ立っている。威容ともいうべき樹勢だ。しかも上のほうは画面からはみだして、梢は想像の中に描かれる。天空にあるはずの星と月が、まるで脇侍のように糸杉の左右に控えている。
 これは、ご神木である。南仏にはご神木というものはないだろうが、かりに日本人が集団で移住したら、いつの間にか根元のあたりに注連縄が結ばれている。そんな木である。
 もっとも、キリスト教以前のヨーロッパでは、老樹や大木を崇拝していた。宣教師ボニファチウスは、そういう木を「蛮族」の目の前でドンスカ切り倒しながら布教したというが、逆に異教徒を取り込むためにはじめた行事がクリスマスなのだった。太陽の力がもっとも弱くなったときに、常緑樹を飾って無事を祈っていた風習が、クリスマスツリーの起源である。
 聖書のどこを探しても、イエスの誕生日についての記載がないと知って、私は驚いた。神仏習合、なんでも折衷は日本の専売特許のようにいわれるが、そんなことはないのである。

 さて、そのご神木の下を、畑仕事帰りの男たちが肩を並べて歩いている。
 そういや、ポールんとこの娘っ子は、だいぶ色気づいてきたでねえか。
 まったくだ。近頃は豊作つづきだから、まあ、どこでも色気づいとる。
 いやいや、糸杉と星の見える道でそんな話はけしからぬ。ゴッホが許さない。何事もなくきょう一日を送れたことを神に感謝しつつ、作物の出来について語りあっているのだ。だから、男たちの歩く姿はぎこちなく硬い。
 彼らのご先祖さまも、何代にもわたって同じようにこの道を歩いたのだろう。糸杉の下を静かに語り合いながら。
 ただの糸杉も、次々と生まれては死んでゆく動物たちを何百年も見守りつづけると、こうして月と星を従えるご神木になるのである。そういう木の前で、私たちは圧倒的に小さい。
 
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# by megusurinoki-net | 2009-01-01 09:47 | コラム  

木の葉踏む

畑を見たい、というので親を連れて林に来ました。
八十を二つ三つ越えましたが、孫やメグスリノキのゆくすえを案じながら、なんとかいたわりあって暮らしています。

日だまりは暖かく、落ち葉を踏む音が心地よく伝わってまいります。

主(あるじ)が来ると山が喜ぶ。それが口ぐせで、年末年始は毎年山に入り、木々の成長を眺めて歩くのが楽しみでした。今は足腰も弱り、病気もして衰えはだれも同じ。

人は年輪を重ねますと、おのずから気配を削いでゆくものなのでしょうか。カメラを向けたとき、二人の姿が林の中に溶けていくような気がしたのです。(Yu)


   ほろほろ酔うて木の葉ふる  (山頭火)


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# by megusurinoki-net | 2008-12-28 20:50 | メグスリノキ  

その後の一年生(2ヶ月後)

好天でしたが、北関東はすこぶる寒い一日でした。日光連山は雲に隠れて、かすかに白い山肌を見せるだけです。

さて、あの一年生はどうしてるかなと畑に降りてみますと、まだ葉も落とさず頑張っていました。縮み上がっていると書いた方が当たっているかもしれません。背が低いぶん、風当たりもそこそこだったのでしょうか、かすれた紅葉を残しています。

今は小さいけれど、親木には君を育てていくのに十分な力があります。来春は空を見上げて、まっしぐらに大きくなって下さい。(Yu)

  日のあたる石にさはればつめたさよ  (子規)

 
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# by megusurinoki-net | 2008-12-23 17:12 | メグスリノキ  

植え替え(その2)

今年の植え替えが終わりました。
150本ほどを移植し、林地は広々として風通しが良くなりました。来春からは枝が張り、幹も太くなってくれると思います。

移植後の、畑の風景は一変しました。ここには山ウドがいっぱい眠っていますが、来年はきっと木々の根元からも山ウドがにょきにょきと芽を出し、楽しい畑になるかもしれません。

それにしても毎年植え替えをして感じるのは、メグスリノキを掘るたび、かすかに匂う甘い香り。
おそらくこれは、根っこの最先端の、人間の体たとえますと毛細血管の最も細いところから発する活動の証しかと。もやしのような、白い根っこの赤ちゃんの匂いは、ほんのり甘く、とても言葉でお伝えすることはできません。

地上の木々は葉を落とし、休息に入っているように見えますが、根は365日、ずっと働いているのかもしれません。(Yu)


  斧入れて香におどろくや冬木立  (蕪村
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# by megusurinoki-net | 2008-12-21 23:28 | メグスリノキ